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ジェニファー・ジャクソン☆★☆Japan Tour ![]() 2005年11月3日(祝・木) 松本市 喫茶クラクラ 六九商店街女鳥羽川沿い open/19:00 start/19:30 ¥2,200 adv. ¥2,500 door お問い合わせ/チケット予約 バースリー 松本市 喫茶クラクラ ℡ 0263‐34‐5024 ボンゴビート 村上 090・7840・5173 bongokun@hotmail.com ***LINKS*** Butakui Planets/Crazy Rhythms we rule the school tropicalia the world of small s pure pop for now people Chuch's memories teenagefanclub+log hidemuzicblog *********** official homepage of OGRE YOU ASSHOLE *********** お気に入りブログ
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ライ・クーダーの新作『チャヴェス・ラヴィーン』が頭の中をずっとずっと駆け巡っていて
寝ても醒めても今、このアルバムにどっぷりで、この音楽を思って眠れない日々が続いている。 このアルバムには1940年代~50年代当時のスターたちやプレイヤーがそのまんま 参加していて、その音の馥郁(ふくいく)たるさまを目の当たりに、いや、耳にするにつれ ライ・クーダーが愛おしく回想する失われたロサンゼルスが甘美な夢として 聞くものの胸に自ずと、もう一度再生されてしてしまうのだった。夢に溺れてしまう。 CDプレイヤーからこの盤が離れられなくなってしまっている。 『CHAVEZ RAVINE / チャヴェス・ラヴィーン』ラジオが鳴り響き、U.F.O.が発見され、エドガー・フーヴァーの政策が施行され、赤狩りが行なわれ、そしてそこにはベースボールもあった1940年代後半...。そして、1950年代にはドジャース・スタジアムの建設という"進化"の為に、無くなってしまった街。そんな、ロスアンジェルスの、あるラテン系の人々が住むエリア:チカーノ・コミュニティ(ヒスパニックの人々の街)に捧げられた15のオマージュが、そして、ロス・アンジェルスで同じく生まれ育ったアーティスト:ライ・クーダーにしか描けない世界がここにある。(ワーナー・ミュージック・ジャパンから) ![]() 若いときの写真ですみません。試聴はこちらで⇒http://www.nonesuch.com/Hi_Band/rycooder/ ライ・クーダー本人が語る“チャヴェス・ラヴィーン” 子供の頃、ロサンジェルスを端から端へと乗り継いでいくのが好きだった。西に行くのは未来に向かっていくこと、一方、東は間違いなく過去の世界だった。私たちの住んでいたサンタモニカから東行きのバスに乗って15マイル程走り、市外電車に乗りかえ、ダウンタウンL.A.で降りる~~~するとそこには50年、いや多分それ以上昔の世界が広がっていた。それから小さなトロリー電車でバンカーヒルまで行けば、さらに古くて荒れ果てた様相の、奇妙なヴィクトリア様式の邸宅、古い木々、そして英語が日常語であったわけではない老人たちの住んでいるミニチュア世界にたどり着いた。私はそういった乗り物の旅を何よりも好んだ。 *** しかしチャヴェス・ラヴィーンへは行ったことがない。その場所のことは50年代初めに聞いた。すなわち、立ち退きのこと、1マイル足らずのところにある市庁舎での権力争いのこと、「バチューコ事件」、「赤狩り」、そして峡谷(ラヴィーン)がドジャース球団へ抜け目なく売り渡されたこと。LAPD(ロサンジェルス警察)から不当な扱いを受けながら、あるいは地元の政治家から強硬な説得を受けながらも、自分たちのささやかな家がブルドーザーによって粉々にされていくのを見つめているどこかの貧しいメキシコ人家族の写真が時おり新聞に載ることもあった。私がこれらの何かひとつでも理解できるようになったのはずっと後で、あの計画がつまづいてからかなりの時間がたってからのことだ。当時は、あのような出来事は「進歩」と呼ばれていた。 *** サンタモニカ地区の碁盤目(グリッド)、歩道とその一角にある芝生、あるいは私たちが住んでいた宅地開発によって建てられた家々、すべてが一朝一夕に出現したかに見えるその街並みは好きになれなかった。あまりに精彩を欠いたその風景は、歴史や神秘をまるで感じさせず、そこが私の気にさわったのである。1955年にはスモッグがサンタモニカに現れるという残念なことが起きた。そしてジョニー・キャッシュがKXLAラジオ局に登場という、うれしい出来事もあった。私はロイ・ロジャースの「Lore of the West」という78回転レコードを持っていた。ロイと彼の仲間が歌い踊るウェスタンの曲やウェスタンの物語には当時の私の人生よりはるかに興味津々たるものがあった。その物語は、腐敗した政治家たち、鉄道利権を狙う人々、そして貪欲な不動産業者たちの秘密のカルテルに支援を受けるよこしまなギャングを相手に、貧しい羊牧場の主が奮闘する、という内容だった。羊牧場主は負けてしまうが、勝ったものたちは悪に染まり不様であった。「固いゆで卵の中身はいつだって黄色い」とロイは歌った。 *** チャヴェス・ラヴィーンも同じ話だと思う。ロイなら理解してくれただろう。それは1950年にロサンジェルスで起きた話だ。権力志向の右翼政治家と「大きいこと」に取り憑かれた土地開発計画者や業者たちはあらゆるものの未来を決定することに躍起になっていた。進歩的な市当局と公共住宅計画をつぶす策として、彼らは赤狩りと人身攻撃の手法(ジョー・マッカーシー、J・エドガー・フーヴァー、そしてリチャード・ニクソンによって大いに促されたことだ)を用いることまでも学びつつあった。果たして彼らはそれを実行し、そしてロサンジェルスには道路が作られ、歩道が敷かれ、高層ビルが立ち並び、都市再開発が行われ、それと平行して、富が築かれ、権力が集中し、そしてありとあらゆることがより早くより大きくなっていったのである。 *** だが今、私にはなつかしく思い出されることが沢山ある。バンカーヒルのような古い地区がかもし出す雰囲気、チャヴェス・ラヴィーンのような都会の中の田園風感触、そしてそういった場所で営まれていた生活の音色、そして平和と穏やかさ。ひとりぼっちで心細いスペース・ヴァトが、探していたエル・モンテ・リージョン・スタジアムへの道順を、サンタモニカでなくパロヴェルデで尋ねることにしたのもうなずけるというものだ。チャヴェス・ラヴィーン、それは歩道の果て。サンタモニカの住人は誰もそこへ行ったことがなかった。 by bongobeat | 2005-07-03 19:41
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